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穴場スポット 法福寺(お菊寺)

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戦国時代創建の寺院
豊臣秀次と側室の娘・お菊ゆかりお菊は大坂夏の陣の悲話で知られている人物で、「お菊」ゆかりの寺として「お菊寺」とも呼ばれています。
正式名称を「楊柳山西照院法福寺」、文亀元1501年に創建された浄土宗の寺院。
ご本尊は、江戸時代に作られた「阿弥陀如来三尊像」。

はんなん昔話より~「お菊悲話」
お菊は、豊臣秀吉の甥である関白豊臣秀次と側室小督の局の娘です。
小督の局は淡輪徹斎隆重の娘で、文禄4年(1595年)に秀次の正室・側室らとともに京都の三条河原で処刑されました。その時、お菊はまだ生後1ヶ月と幼く女子であったため助命され、波有手の後藤六兵衛興義の養女として育てられました。
 やがて大きくなったお菊は、慶長20年(1615年)4月20日、紀伊の国の代官山口喜内の嫡男、山口兵内に嫁ぎました。しかし、その年大坂夏の陣が起こり、淡輪家・後藤家・山口家は豊臣方につきました。
 お菊の夫、山口兵内もわずか結婚5日目に大阪城に入りました。さらに、山口の城が敵軍に包囲されてしまい、援軍を求めるためにお菊は男装して密書を大坂城に届けます。無事大坂城にたどり着いたお菊でしたが、その帰りに樫井川で敵方に返書を奪われ、そのうえ道中山口の城が落ちたことを知り、養家の後藤家に身を隠します。
 その後、養父後藤興義の討ち死に、大坂城落城により夫も討ち死にしてしまいました。お菊も捕えられましたが、嫁いで間もないことなどから、敵方が助命しようとするも、お菊はこれを拒否し、紀ノ川の田井ノ瀬河原で斬首されました。お菊はこのときわずか20歳でした。

■INFORMATION

アクセス
南海本線「鳥取ノ荘」駅より、徒歩3分
住所
大阪府阪南市鳥取1221
電話番号
072-471-3030

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